一番悲惨なガチャは親ガチャではなく、時間ガチャだと思う。人生ガチャの真実。

 最近ガチャガチャ転じて→オンラインゲームの課金アイテムくじ引きを課金ガチャとか呼んだりしていたことが→、更に転じて親ガチャなんて言い方するみたいです。

(親に失礼な気が・・・)

でも親ガチャという言い方は実は最新科学とも一致する考えであり、紀元前ギリシャの考え方とも一致する考えです。

それって普遍的な考えじゃあないですか。

DNAは両親から綺麗に50%受け継ぐわけですが受け継ぎ方が兄弟で異なったりするので兄弟でも姉妹でも似ている一方で少し違ったりするわけですよね。

で、遺伝要素ってどこに発現するかっていうと程度の差があるだけで全ては遺伝なのだというのがわかっています。

つまり何もかも遺伝形質の発現でしかないのです。

これは最新研究なんですよね。

だってアルバートアインシュタインの研究をアインシュタインと同じ勉強をしたり環境を整えてもらったらあの時代に出来たか?

レオナルドダビンチと同じ勉強と環境を整えてもらったら誰でもダビンチと同じ結果を残せたか?

大谷翔平や大迫と同じトレーニング環境整えたらメジャーリーグやサッカー日本代表で欠くことのできない存在になれるか?

答えは全部NOですよね。

アインシュタインも大谷選手も大迫選手も生まれついてそれぞれに才能に恵まれていた結果、その後の勉強だとかトレーニングでその才能が伸びたことによってあの存在なわけです。

生まれたその日に良質であり、ベースラインはとても高めなところにあるんです。

そして一個この話には罠が仕掛けてあって、この中で一人だけやばい人がいて、それはレオナルドダビンチです。

この人だけはなんと知能で大量の結果を残した人なのに、最終学歴は小学校すら出てないっていう恐ろしさです。

彼だけは学校行ってないんです。

これって両親からどんなDNAを受け継いでいてその組み合わせが素晴らしかったか?ということで殆ど全てのことが確定していると思いませんか?

藤井聡太棋士は天才的な人ですけど高校中退しちゃったんで彼の最終学歴は中卒です。

じゃあ誰が彼に勝てます?

理系の大学院出たら果たして勝てるでしょうか?

 じゃあ藤井聡太さんにしろレオナルドダビンチにしろ彼等は親ガチャの勝利者なんでしょうか?

確かに受け継いだDNAは素晴らしい組み合わせでした。

だから親ガチャには勝利したかもしれません。

でももっと大事なガチャがあります。

それ無しに彼らは勝利条件を満たしません。

試される本当のガチャ

 試される本当のガチャは実は時間ガチャです。

例えば大谷選手や大迫選手が100年前に生まれていても彼らは活躍できますが今ほど大きなお金は得られませんし、大谷選手が日本で生まれて日本で育って野球が得意な子に育ったらどうなっていたか?

2021年から見て100年前は1921年ですからその前年にプロ野球が始まっているのでギリギリお金もらって野球する職業野球人にはなれたかもしれませんが金額は安いです、大迫選手に至ってはサッカーのプロリーグが1993年ですから生まれるのが早すぎますし会社所属のサッカークラブもあったかどうか?

更に遡って1000年前だとどうでしょう?

時代は1011年ですから平安時代。

蹴鞠はありましたから貴族の家に生まれていれば大迫選手は多少いいことがあるでしょうけど、大谷選手の打って投げる能力はどうしたものか?

 将棋が無くても藤井聡太棋士の流動性知能は何か別のことで活かせたかもしれないし、大谷・大迫選手の身体能力はもしかしたら狩猟や戦で名をなしたかもしれないし、彼らがみんな今生まれたから活躍できたとは言い切れません。

ダビンチもアインシュタインも紀元前に生まれたとして場所が地中海沿岸ならもしかしたらワンチャンあったかもしれません、何しろギリシアはその手の知能がとても重用されていたでしょうから、アルキメデスと仲良く何かを発明していたかもしれません。

要は

 時代によって要求が異なる

事が

 一番のガチャである

と私は思うのです。

絵を描く才能に恵まれるには手先が器用でないとダメです。

線を美しく描く手先の運動能力みたいなものが必要です。

イラストレーションなら発想力も必要ですし、絵画でもワーキングメモリが絵の中に何かその人の体験や知識を影響させる事だってあるかもしれませんから大事な才能です。

でも、デッサンの狂いなくある程度までなら手先の器用でない人でも絵を紙や画面に表示出来る時代が来ました。

写真機の登場です。

フィルム写真が現れたことで簡単に家族や風景をデッサンの狂いなく保存することが可能になりました。

こうなってくると絵の才能はマストではなくなり、それは絵と写真という複数の表現方法が存在ということになります。

絵の才能は相変わらず重用されますしそれはボタンだけの写真の上位に存在しますが、写真機の登場まで誰にも認めてもらえなかった才能が才能と認められるようになったとも考えられます。

逆に蒸気機関の登場やITの発達で(シンギュラリティではありません、あくまで効率化のみの話があり)仕事を失う人が現れました。

学校や社会に出て多くの事を

 学んで多くの答え方を知っている人が重用される、知識社会(〜平成)

が終わって

 自らの発想力で組み合わせて何かを作り出せる、知能社会(令和〜)

がやってきたと私は考えています。

こうなってくるとITやロボトニクスによってそれまで有能と判断されていた人の価値が失われ、それまで着目されていなかった才能の持ち主が重用されるように評価基準も変わるでしょう。

その評価自体も親戚だから、仲がいいから、なんとなくその人が良いからと言った評価者の心証で差がつくものから、どれだけの知力があるか?という評価基準に変わっていきます。

何故なら会社の枠を超えて仕事で貢献する人の傾向が数値化され見えるかされ、AIで仕事が判定されるようになるからです。

そうなると人の印象が割り込む余地がなくなります。

おそらく履歴書は誰も書かなくなるでしょう。

メガネ

 メガネはネガティブアイテムでした。

メガネをかけているというのは集団の中でも魅力の面で落ちこぼれた人を表し、男性でも女性でも異性を意識した人はメガネをやめてコンタクトレンズを購入するという傾向が過去にはありました。

この潮目が変わったのがタレントの本上まなみさんがメガネ男子好きを公言したあと何年か経過したあたりだったと思います、いや数十年後かもしれませんが。

メガネというのは視力が弱いことを周囲に知らせるアイテムであり印になっていました。

眼鏡等を必要とする人は戰に向いていません。

戦争に出ていって戦功をあげることができない男性の象徴的なアイテムだったわけです。

この名残が人々の異性の価値観に色濃く残っていた時代が終わって今はむしろメガネをかけている男女の姿は好意的に見る人さえいますし、メガネをかけている人に特別いい悪いの価値基準自体が存在しなくなりました。

昭和のドラマや漫画だと髪を下ろしてメガネを外した女の子が意外にも美人で男がドキッとする描写なんてのが本当にあったのです。

信じられない時代の変化です。

女は男を選ぶ

 時代の変化で要求が変わり女性は生涯を通じて自らの働きだけで一生食べていける時代になりました。

男性の未婚率の上昇は私はこれが原因だと思います。

そうなると稼げる男性より恋愛価値の高い男性を女性だって選びたくなります。

昭和の男性が女の人につけていた美人で胸が大きくてみたいな難癖を、今は女性が男の子に言っているのかもしれません。

美男子で背が高くて、なんて感じに。

本当に始まった21世紀

 価値観は時代で変わります。

産業構造が今はこの大変革機、21世紀の新型産業革命に入りました。

そうなると平成まで価値のあった様々なものが無価値になります。

こういう時間ガチャこそが私達には一番恐ろしいのではないかと私は思います。

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