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誰がためにあの日鐘は鳴ったのか? BBCに見る報道のあり方とイギリスで救われた猫

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BBCニュースで猫を100匹以上救った家族を報じている

 儲けの出しかたの問題なのはわかってる。

テレビ神奈川やネットでこうしたBBCのニュースに触れると、それがより一層鮮明になって感じられ興味深い。

ここに貼ったBBCのニュース映像をまずご覧いただけるだろうか?

行き場を失った猫を引き取り始めたら引き取る猫がどんどん増えて100匹を超えてしまった。

家財を売り払い結婚指輪を売ってまでこの活動を続けたがもう売り払うものもない。

そこで慈善団体の申請を出して活動を続けているというのだ。

色々言いたいことがあるのはわかる

この報道を見て言いたいことがあるのはわかる。

それは視聴者も、テレビ局の局員も同じだ。

でも「あれ?」って思わないだろうか?

このニュースには誰もコメントをしている人が出てこない。

Twitterなのでコメントを追加することはできるがそういう意味じゃない。

このニュース動画の中でこの家族に関してBBCのニュース報道側で何もコメントをつけていないのだ。

コメンテーター報道

日本の報道は悪く言えばベクトル確定方式だ。

例えば大袈裟にいうとニュースはこういう構成になっている感じがする。

① 何があったかを伝える

② この事実を「どう受け止めるべきか」を書いてある

BBCのニュースには②が無い。

何があったかをとにかく伝えている。

TVKの朝に放送している同時通訳のBBCニュースも①しかやらない。

キャスターはとにかく何があったかを伝えている。

受け止めるのは視聴者で視聴者はそこからしか判断しない。

それが正しいか正しく無いかはわからないが、少なくとも報道側が決定したりしていないのだ。

この方が良く無いだろうか?

救われた猫

例えばこの私の書き方も問題があるのだ。

救われた猫

というのは私の主観に過ぎない。

BBCがつけたタイトルは自宅をシェルターにとか猫100匹と生活などだ。

BBCは事実を述べ、私は猫が救われたなあという私の気持ちが書いてある。

私のは報道という観点で言うなら間違っている。




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