鶴見線 国道駅

ドラマのロケ地で有名になった

国道駅はアールヌーボー調のデザインを施されかつ戦前から残る雰囲気も相まってドラマのロケ地になったりして有名だそう、

最近だと男女七人秋物語が再放送されていて、そこに当時の川崎アゼリアや鶴見の国道駅が登場するそうです。

私は吉田類さんの酒場放浪記でこの駅を知って興味を持ち、探索したり撮影したりあれこれ調べたりしてちょっとマイブームというかハマっちゃった駅なのですが、調べれば調べるほどあれこれ出てきてちょっと感動的ですらあります。

 

WIKIで判明していること

1930年(昭和5年)開業の駅で完全に戦前からほぼその姿をとどめていること。

国道と接してるから国道駅である事。

戦争中に米軍の機銃掃射を受けた跡が残されている事。

ざっと読んでみると気になるのはこの辺です。

あとは映画やドラマのロケ地である点でしょうかね、黒澤明監督の映画にまで登場とは恐れ入りました。

 

でも実際行ってみて違和感が・・・

以前このサイトで画像を公開してたのですが駅のホームに何度か行って気付いたのです。

写真撮ってくれるなって感じのことが書いてあるんですよね。

どこまで良くてどこからダメなのか今んとこわからないので画像や映像なしでご紹介しておこうと思います。

多分改札の外で撮ったものなら大丈夫なんじゃ無いですかねえ?わかんないけど。

で、違和感。

駅はアールヌーボー調で線路下は住宅だったりお店だったりが並んでいます。

全体的にデザイン的な統一感はあるように思えるのですが・・・。

あれ?

この橋はなぜこんなに質実剛健?

駅構内の下ホーム側階段を上がると踊り場のところで登りホームに至る橋がかかっています。

この橋の下がおそらくロケでよく使用されている線路下の通路部分。

そこはアールヌーボー調の柱に型取られた何個も続く額縁の中みたいになっています。

改札と踊り場までの階段は下りホーム側にしかなく、この橋を通過しないと登りホームには行けません。

だから大事な橋なのですが変なんですよ。

 

謎、なぜここだけ?

橋だけ変なんですよ。

U型の溝みたいな形で橋の欄干には飾りっぽいものもありません。

京急立会川駅周辺には大正から昭和にかけてかけられた複数の橋があり年代もまちまちでその時々の機運が読み取れそうな気さえします。

国道駅の開業した年、その前後にかけられた橋を見ても橋の欄干に飾りが必ずあります。

どうしてここには無いんでしょう?

 

開業当時の写真にヒントが

WIKIページにある写真がこの謎のヒントになりました。

開業当時の白黒写真があると思うのですがこれよく見てください。

なんか変じゃありませんか?

国道駅には改札が1つ、踊り場までの階段も1つです。

でもこの写真にはそのどちらでも無いものが写っています。

現在ある改札からの階段は左側に壁があります。

でも写真は右側に壁があります。

これフィルムの裏表を逆にプリントしちゃったんでしょうか?

いやいやもう一つ確認してください。

右側の階段に沿って立ってる2本目の柱のところにあるべきものがありません。

そうです、橋はここにかかってるはずなんです現在なら。

でも開業当時は橋が無いんですよ。

 

臨港デパートと昭和恐慌と浅野駅

WIKIにも書かれていますがこの駅は現在はJR、しかし開業当時は鶴見臨港鉄道つまり私鉄でした。

経営していた会社はこの駅を一時的に臨港デパートに改造しています。

昭和の香りがする鶴見線国道駅を特集して!

横浜市 P4 鶴見駅 – 鉄道 – 横浜市(臨港デパートの写真あり)

横浜市のPDFには臨港デパートの写真があり私が見つけられた唯一の画像情報でした。

この写真を拡大してみると奥の方に橋があるように見えます。

少なくとも臨港デパート開業時点にはこの橋が追加されているわけです。

駅開業時には存在しなかった橋が臨港デパート開業時点では橋が存在する。

もしかすると臨港デパートのためにこの橋は作られたのかもしれません。

私の完全なる妄想ですが

  1. 1929年世界恐慌
  2. 1930年から31年に昭和恐慌
  3. 1930年 国道駅開業
  4. ?年 国道駅に橋がかかる
  5. ?年 国道駅に臨港デパートオープン

4と5の時系列は同じかあるいは逆かもしれません。

ただこの順番だとこういうストーリーになるんじゃないでしょうか?

  1. 国道駅を含む鶴見臨港鉄道の計画が日本政府に承認される
  2. 昭和恐慌が起きる
  3. 計画通り1930年10月に国道駅が開業する(だから設計は恐慌前のもの)
  4. 恐慌への対応から経営の合理化を図る→国道駅全体をデパート化する計画が立ち上がる
  5. 売り場面積を確保するために登りホーム側の改札を廃止して店舗スペースに改造、増設
    登りホームへの動線は下りホームに至る階段踊り場から橋をかけることで対応

つまり

  1. 国道駅そのものは恐慌前の設計
  2. 橋は恐慌後の設計

なので橋だけ質実剛健なデザインになっているんじゃないかと想像しました。

(浅野駅は浅野財閥さんのコンクリート製造の工場があったそうで、鉄筋コンクリートの橋を建設する資材は財閥内で融通しやすかったのも遠因だったりするのではないか?ええ、全部妄想です)

 

大正、昭和(戦前、戦中)の歴史が詰まっている

駅の開業は昭和5年ですからこの駅は大正を知りません。

ですが駅のデザインにアールヌーボー調を取り入れるという機運は大正ロマンの影響とかあったのかな?なんて想像してみると楽しいです。

駅ホームに行ってみるとわかることですが登りホームと下りホームの天井を繋ぐようにアーチ状の金属フレームが掛かっています。

これもアールヌーボー調になっていますし丸く穴が空いているのですがこの穴の形状もフレームの厚みに沿って高さが変わりアールも上に行くほど際どくなっていきます。

こんな凝ったことをしているのもなんだか当時の人たちの心意気を感じさせるような気がします。

しかし昭和恐慌が始まるとそんなことも言っていられなくなりデザイン的には質実剛健。

そして戦時中の傷跡が残されると。

なんだかこの駅には当時の人々の夢と時代の厳しさの両方が刻まれている気がするのです。