一月四日。
JR横浜駅前にある大きな公衆電話スペース。
左に3台、右に3台、中央に少し背の低い台に乗った1台の合計7台あったであろう公衆電話が間引きされて今はもう5台に減らされている。
こういう光景はもう珍しくない。
かつて公衆電話があったと思われる都内の至る所で公衆電話が撤去されテーブルだけが残されている。
テレフォンカードと緑色の公衆電話は登場当時は時代の先端であった。
しかし今その主役の座は携帯電話に奪われ携帯電話の座はスマートフォンに置き換えられつつある。
同じく時代を奪われた白黒の写真フィルムを詰め込んだレンジファインダーカメラを下げて歩く私の目の前にそのかつて花形であった公衆電話スペースが目に入った。
利用者はたった一人。
右のテーブルの真ん中で何か小さな手帳サイズのものを取り出しているのが見えた。
公衆電話の近くで手帳を出すと言えば電話帳が相場であった。
電話帳には相手の名前とわかっている相手なら住所が書き込まれ電話番号が併記される。
最初からname、address、tellと薄く刻印されていてそこに友人知人の名前と住所と電話番号を書き込んで持ち歩いたものだ。
私はてっきり女性は公衆電話でどこかに電話をかけるのだと思った。
その女性はちょっと年齢的に私より上に見えたから。
まだ公衆電話を使う世代なのかな。
そんなふうに思って見たら女性は手帳型のケースを開いてスマートフォンを操作していた。
電話すらする気配もない。
ショートメッセージでも送っているのか何か情報を確認しているのか地図を見ているのかそこはわからないけど。
とにかく公衆電話を使う気配はない。
虚しく客を待つ公衆電話の谷間で公衆電話をかつて受け止めていたであろうスペースにはスマートフォンを操作する女性の姿があった。
私は木村伊兵衛さんの板塀を思い出した。
この写真が撮影されたのは1953年だ。
板塀にはかつて地域の有力者が村人に告知を貼っていたらしい。
しかしこの写真が撮影された頃にはそんな習慣も無くなり村人は馬を引いてその前を素通りしている。
時代の転換点を撮影した名作だそうだ。
私は横浜駅前、高島屋の前を行き来する人が途切れるのをじっと待っていた。
カラースコパー35ミリのピントを合わせ露出を測り絞りとシャッタースピードを決定したあとはじっと時を待つ。
女性が立ち去らないことを祈りつつ待っているとほんの短い時間そこを通る人が途切れた。
私は横浜駅を背にしてこの写真を撮影してその場を立ち去った。
板塀ほどではないもののこれも何かの時代の転換点かもしれない。
という思いと。
これフィルム写真なんだよな。
という「ちゃんと写っててくれよ」という気持ちを抱えたまま。
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