AIに対する温度差はどこから来ているのか?なんで危機感のある人と危機感のない人に分かれているのか?

危機感のある側

被害者がいる

具体的に仕事が無くなったとか無くなりそうだとか気付いているか気付かされた人は危機感があるみたいです。

例えば銀行の融資担当をAIに切り替えたなんて話もあったんでそのジャンルの人は実際に仕事が無くなってたり、あるいはなくなる危機に直面していると感じているから危機感を共有していることになります。

他にも自分のジャンルの仕事が可能なのではないかと感じている人はそのジャンルに所属しながら危機感を感じていられます。

演出家の方なんかもどっちかというとロジカルに演出されているので理論的にAIがどんな進化をしてくるか経験的にわかるんだと思います。

「AIを正しく使うルール作りを」“演出家”もAIによる影響危惧

「日本芸能従事者協会 森崎めぐみ代表理事
「AIの芸術・芸能分野への参入は、芸術・芸能従事者の著作権やその他の権利の十分な保護を伴う必要があり、必要な法的保護を導入するよう強く求めます」」

可能性について推論ができる

AIがどのように進化しどのようなことを現時点でやっているのか正確に把握しているかある程度想像のできる人、推論が可能な高度な人材は危機感に関してレベル差はあっても共有はできているのではないでしょうか?

AIを実際に活用してイラストを描いちゃったとかに始まって実際にAIの基礎には統計があるとか、最大ではAIに実際に取り組んでいるような人などはここに該当すると思います。

その実力についてどこまで広がり得るかを知っている人にはこれは避け難い未来が見えていると思われます。

余談、33−4の恐怖を知っている人

これ余談なのですが2005年の日本シリーズでとんでもない試合があったのですが、この時に使われたのが統計学でした。

統計をとった側は取られた側に対して圧倒的な勝利を収めました。

しかしこれには検証不足な側面がありまして、最初の三試合は圧倒的に勝利したのですが四試合目に統計効果が無くなってクロスゲームになっちゃったのです。

原因は統計を取られたことに気づいた相手側が対策をしてしまったので単純のその試合時点での先発投手と打者の相性で結果が出てしまったわけです。

つまり統計学の恐ろしさと脆さの両方がここには出ています。

これと現時点でのAIに対する評価はなんとなく似ているのがわかります。

危機感のない側

歯医者さん

歯科医院の院長とこの件で話したことがあるのですが彼はのほほんとしていました。

AIがどんなに進化してもあの歯科治療を代行することができないからです。

レントゲン技術とか内科医でも判定部分なんかはAIで代行可能なのと内科医のレントゲン画像判定ですでにAIサービスが入り込んでいることを知っている、あるいはそのサービスにあと課金さえすれば使用可能かすでに使用中の内科医はここに該当しません。

だから内科医だと危機感を共有可能なのですが歯科医だと共有できない場合もあります。

でも歯科医でもあなたの身近な人に危機が迫っていると言えば気が変わるんじゃないかと思うので、次回はそのアプローチでその歯科医院の院長と話し合ってみようと思っています。

そもそも難しい問題だと思っている人

女性3人組の歌ではありませんが「考えるのをやめた」人たちには危機感はそれほど広がりようがありません。

あまりに縁遠い話すぎて日常生活に追われそこまで考えている余裕がない人が殆どだと思います。

だから考える前にそもそも難しい問題だと思ってしまっている人が危機感を共有できていないのではないでしょうか?