渋谷のモデル
Diary

女遊びは芸の肥やしにならない

遊びのどこが芸の肥やしになったのか?

yokohama
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これ結構、ITエンジニアの現状に通じているんです

女遊びは芸の肥やし

女性と幅広く交際したりすると芸能人として能力値が上がるっていう話です、乱暴にいうとですけど

自分も子供の頃にこれ聞いて「おじさんが浮気の言い訳をしている」と捉えていました

なんでそんなことになったのか?

🌉

女の子と付き合ったことがなかったから

小学生当時の私が女性と主に関わってなかったからです

原因は僕がぼーっとした子だったから

千葉在住だった当時の僕を見に来た東京の人(ただし女性←ここ重要、後でわかる)が

「こんな綺麗な子が千葉にもいるの」

と評した相手が僕でした

これ後年親から聞いて驚いた記憶があります

だって僕は鏡で自分の姿見て近所の子とのあまりの容姿の違いに愕然として落ち込んでたからです

(そりゃ違うよね・・・)

だけどぼーっとした子は色々気がつきません

好んでるわけでもだからってそれが嫌なわけでもなく一人で過ごしてます

活発な同世代の子は僕には「乱暴な男の子」に見えていました、もちろん僕の誤解で僕が活発じゃなさすぎなんです

タモリさんが明石家さんまさんのことを明るくて活発で陽気で、だから「苦手」っていう、この感覚をクラスメート全員に向けてたのが僕です

タモリさんなんかより遥かに困った奴、それが僕でした

男女ともに関わりがなければ当然女性がどんな生き物か僕は知りません

クラスでずっとツンケン(昭和の言い方でツンツンしてて時に怒ってくる様子)してた綺麗な顔の女の子が、突然学校で僕に用事を言いつけて放課後の自宅に呼んだことがあります

話したこともない、ただ文句言われてるだけの相手なので怖かったんですがとにかく何かを届けたと思います

そしたら態度が温和になってて何故か女の子が自宅に上がって遊んでいかないか?と僕に言ってくれました

断りました

だって怖いんだもんその女の子!

その女の子に関する記憶はここで途絶えています

多分その後何もなかったんだと思います、会話したとかもなく何かされたとかもない、ほんと記憶にあるのは家の前でそんな会話したっていうところだけです、届けたものもなんだったか覚えていません、漫画だったかなあ?

こういった事があって僕は女の子を知りませんでした

だから「女あそびが芸の肥やしになる」というのは「オヂサンたちの遊びの言い訳」だと固く信じてたわけです

🏫

遊ぶ必要はないが女性は男性にとって知性の栄養素になる

ところが女性と関わりだすとそれまでわからなかったことがわかりはじめます

女性はすごくうまいんです

自分の行動のように見せて

自分の目的のように見せて

私に訴えかけてきます

そうやって色々なことを僕達は女性から学んで成長し、現在の私達を形成しています

だから「こんな綺麗な子が千葉にもいるの」はうちの両親へのプレゼントみたいなもんだっていうのが私に理解できているので、後年そのエピソードを聞いてもふーんくらいにしか思いませんでした

その人誰だか知らないけどソーシャルスキルめっちゃ高いじゃんとは思いますけど

👩

異性は姿形が似てる割に世界で一番理解し難い他者である

別れのワイン(刑事コロンボ)の項目でも書きましたけど、この話は時代に合わないんですよね

異性と交際する過程で色々学んでいくのが男です

男ってダメなんですよ

固定観念も社会的に与えられるし、当人もテストステロン値が女性より高いから攻撃的です

人間にはダニング・クルーガー効果がかかるから負の面、すなわち「実力がないほどに自信とプライドが高く」なりがちで

そこを抑える力が女性より決定的に劣ります

したがって令和以降は女性の時代になります

現在のポリティカルコレクトネス状況は女性的価値観であり、人類が社会というものを構築して以降二度とそれが変わる事がなかったようにポリコレ社会も二度と終わることはありません

もし終わるとすればそれはテクノロジーの超越と男性ホルモン社会の復活が意味する未来ですから、原子力爆弾を抱えたアメリカ民主党トルーマンが世界中に何百万人もいる状況で、すなわち人類は滅びます

だから事実上女性社会はもう終わらないし戻らないし戻ったら我々は絶滅します

我々男性は女性に学んで大人になります

そこで気がつかされるのは例えばITエンジニアならどういうインターフェースにすればいいのか?ということです

見たこともない他者に向けて使いよく設計するには他者を抽象化してシミュレートしなければなりません

これ女性と関わることに非常に似ています

芸能人やクリエイターの演技、脚本、演出は異性にモテる人がやるとうまいのはこのためです

そのためには多数の女性との関わりが必要だと昭和のおじさんたちは知っていたのでしょう

ただそれは全員が知っていたわけではなく、収入が多い、(芸能界だけじゃなく一般企業でも)キャスティングカウチを持っているとそもそも女性との間にソーシャルスキルが育ちません

よってその人たちは実力のないプライドと自信に溢れたおじさんが出来上がります

そしてこのタイプのおじさんは某超有名企業に山のようにいました(実話)

彼らマジで自分がモテると信じて生きています

当然、ソーシャルスキルは無いです

でも取り戻すことは永遠にできません

だって女性社会は終わりがないですから

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