YELLOW MAGIC ORCHESTRA 『RYDEEN』- YMO 高橋幸宏

インスタグラムにも書いたんですけどライディーンって曲はYMOでも代表曲かもしれないんです。

でも、この曲を知っている人は特にこの曲を説明しません。

彼らにとってこの曲が持っている背景は不明であり、同時に明快だからです。

YMO登場以前の日本は戦後だった

この曲がどういう意味を持っていたのか何故当時聞いていた人たちが説明すらしないのか?

理由は「当然だから」「常識だから」じゃ無いかと思います。

この曲がリリースされた1980年は太平洋戦争終結から35年が経過していて戦後は終わったとされていた時期でした。

もはや戦後ではない(経済白書1956年)、戦後の復興景気は終わり特需やコンテナ革命の煽りなどなどで経済的には立ち直った以上の結果を出した日本ですが1853年マシュー・ペリーの黒船来航から始まる西欧コンプレックスは織田信長の開国的な機運から徳川幕府の閉鎖的な鎖国政策への転換もあってか大変強烈なものでした。

それまで存在しなかった隠されてきた西欧が突然やってきて「開いたトランプ(アガサ・クリスティーのミステリー小説)」の様に日本人にショックを与えたんじゃ無いでしょうか。

西欧かぶれと太平洋戦争の敗戦ショックは長く尾を引いていて、良いものとは西欧のものを指すような雰囲気や機運が溢れていました。

それが日本の置かれた1980年の状況です。

だから戦後復興景気は確かに1956年に終わったのかもしれませんが、人々の中にある何かがまだまだ戦後のコンプレックス期にあったと思います。

西欧コンプレックスと欧米をスカしたようなYMO

冒頭の動画にあるライディーンという曲は面白い曲でした。

日本的でないと思わせるテクノポップ集団YMOが放った曲だと思って聞いているととんでもない目に遭います。

なんだろうこのチャンバラみたいなメロディー?

Bメロっていうんですかね?ひとしきり冒頭演奏が終わると剣劇の様なメロディになるのがわかります。

それもそのはずでこの曲は江戸時代の伝説力士雷電から当初タイトルをつけられており、曲のイメージも

『映画「スター・ウォーズ」を黒澤明監督が撮ったらどうなるか、が発想の起点だった。その為、途中で戦闘ゲームや時代劇風の馬が走る音が入る。作曲者の高橋幸宏氏が著作で明かしている。(WIKIより)』

チャンバラ(サムライが日本刀で斬り合うようなシーン)の感じがあるのはそのせいでしょう。

ライトセーバーではなく三船敏郎が日本刀でバサっとダースベイダーと斬り合う感じでしょうかね、まあ、ストーリーと当初キャスティング通りならダースベイダーに切り殺されるのは三船敏郎演じるオビワンの方なんですけど。

(ジョージ・ルーカスは、『スター・ウォーズ』(1977年)の初期構想で、オビ=ワン・ケノービ役に三船を起用することを考えていたが、その後にキャラクター設定が変って厳粛な雰囲気を持つ俳優が演じる必要が出てきたため、三船ではなくアレック・ギネスを起用することになったWIKIより)

このモチーフが和風っていうのは結構衝撃的でした。

何故なら先も申し上げたとおり西欧コンプレックスが根深く日本のアーティストさんもパフォーマンスに取り入れがち(だから変にステージで英語を使ったりするし、ステージパフォーマンスが誰かしら洋楽アーティストっぽかったりするんですが、これはお客さんがそれを望んでいるから)と言う背景があるんでやっぱ「あれ?」って感じは強かったわけです。

テクノポップで和風。

イタリアンで和風な感じのたらこスパゲッティみたいな感じですかね?

日本は日本でいいのだ

YMOはその後、海外に羽ばたいていきます。

現地の人がコンサートに詰めかけ絶賛してるなんてニュースが日本に届き始めると私達は驚愕しました。

日本の音楽って海外でウケることもあるんだ。

そんな風に思いました。

それは裏を返すと。

日本の楽曲なんて海外でウケることは決して無いだろう(偏見)。

という思い込みがあったという事です。

昨今の海外から需要が高まるシティーポップですがこれも考えてみればYMOが海外に出て行った時期と同じ時期の日本国内楽曲です。

なんてことはありません。

海外の人が気付いてなかったんで買われなかっただけで売れなかったわけじゃ無いんですね。

人種的、カテゴリ的マイノリティーのとぼけた振る舞い

YMOのスタンスは変に熱い感じがありません。

1980年頃になるとそれ以前の「熱き団塊の世代」みたいな男臭さが否定され始めます。

「長嶋茂雄が引退して田原俊彦がデビューした」

1980年のオフに長嶋茂雄監督が一度監督を退任、その同じ年に田原俊彦が歌手デビューした事を指して後年そう書いていたのを見かけました(出典は忘れました、雑誌だったかな)。

長嶋茂雄さんは胸毛ボーボーの男臭い男性ヒーローでしたが、田原俊彦さんは実際の本人がどういう人だったかはともかくタレントとしてのイメージは「つるんとした男の子」って感じでした。

私も嫌いじゃありませんでしたが流石に女性にしか興味がないのでこの話は「ふーん」って感じでしたが、確かにこの時期の日本の感じが急展開したのは覚えてます。

おそらく広告代理店の仕掛けでしょうけど、このあと清潔ブームが起こされ男性も洗顔やヘアメイクにこだわる様になり、ギャツビーのシトラスコロンには殺菌剤が入る様になりました(意味ないのに)。

YMOはそういう時期にぴったりハマったグループです。

泥臭い感じもないし「安保反対!」みたいな感じもありません。

ただただスマートにシンプルに無機質な感じを演出して世の中を冷静に俯瞰で見ている感じがします、それも世界の中の日本を。

楽曲ライディーンは制作過程で雷電からライディーンにタイトルを変更したそうです。

『細野の「アメリカで今『勇者ライディーン』っていうアニメがヒットしている」ので「じゃあ、『ライディーン』にしちゃおう」という発言で「ライディーン」となった(WIKIより)』

人種的マイノリティーである極東の東洋人が制作した曲がカテゴリ的に被差別民だったこの時期の子供向けアニメーションのタイトルから引用され世界に認められちゃう。

なんだか「それで良いのだ」と言う肩の力が抜けた感じで世界に出て行ったYMOは本当の意味で日本を戦後から脱却させる最初の重要なユニットだったのかもしれません。

作曲者の高橋幸宏さんのご冥福をお祈りしつつ。

 

2023年1月15日