刑事コロンボ (69)「虚飾のオープニング・ナイト」 “Columbo Likes the Nightlife” 最終作

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(69)「虚飾のオープニング・ナイト」2023年1月21日(土)午後4:32放送


刑事コロンボ最終作

本作はアメリカで2003年1月30日に放送された刑事コロンボシリーズ最終作です。

前作の撮影から3から4年後の制作なので主演のピーター・フォークの様子が大きく変わっています。

フォーマットは相変わらずの犯人が最初に判明していて後からコロンボが登場、徐々に犯人側の用意したシナリオが崩されていくスタイルは踏襲されていますが、いくつかのポイントで注目すべき変更点があります。

 

21世紀中に制作された唯一の刑事コロンボ

本作は撮影自体が21世紀に行われており、かつ、この作品だけが今世紀に制作された唯一の刑事コロンボです。

前作の放送から2年経過しており、また新シリーズに入って様々なオリジナル要素が書き加えられた結果このコロンボはこの時点での今日的なテイストに切り替えがかかっているのが興味深いです。

 

物証に重きを置いたスタイル

本作のコロンボは殺人現場の現状から証拠を拾うことを大変熱心に行います。

また先見性に於いても旧作では仲間すら煙に巻くような発言が多い(仮面の男で被害者の現状を見たシーンなど)のとは反対に今作のコロンボは何もかも最初から発見したことを説明します。

着眼点が鋭く知性の高さを感じさせる挙動は、ゲームで言えば「攻略本を見ながら進めている」感じに近いです。

最初からそこにそれがあると知って行動しているかのようでさえあります。

 

動機より行動や物証の矛盾を突いていく

CSIやシャーロックのような後年制作される刑事物がそうであるようにそこに何があって、どんな矛盾点がありという所を主人公がズバッと当てていく感じは刑事コロンボでも珍しいシーンじゃないでしょうか?

新人刑事に捜査を教えながら進めたり、クレーマー刑事に行動を嗜められるので仕方なくなぜそう行動するのか納得させるためにコロンボ警部が発見したことを開示したりするシーンはあったかと思います。

ですが本作はバンバン見知ったことを周辺の刑事に話していきます。

 

機動戦士ガンダム、攻殻機動隊と異なる鬼滅の刃的な表現

鬼滅の刃の作者は作為的に説明を多く仕込んでいる様です。

私はアニメを1シーズンだけ拝見しましたが主人公の男の子がとにかく行動や作戦などを細かく説明してから動作に入るアクションシーンがとても印象的でした。

これは間接的な表現では伝わりにくくなっている昨今の状況を反映していると思われます、つまり、鬼滅の刃の作者は大変聡い方でこうした時代に的確にアジャストして作品を仕上げているのでしょう。

これに反して1979年のガンダムや1991年頃のコミック版攻殻機動隊は細かい説明をせず前のシーンと次のシーンとの関連で何が起きたのかを知らせようとしています。

アメリカでもこれに似た状況がこの2003年時点で起きていたのでしょうか?

コロンボ警部はとにかくなんでも説明してくれます。

 

新・新・刑事コロンボ

21世紀型の刑事ドラマに合わせた新型の刑事コロンボが制作されました。

面白いかというとやはり旧作のほとんどの作品がこの作品より面白いです。

でも殺伐とした社会と荒廃した21世紀的な雰囲気の中に、突然あのプジョーに乗ったコロンボが登場するシーンはなんだか頼もしく、そしてホッとさせられるシーンです。

まるでこんな大変な時代だけどまだ俺が居るよ。

とでも言わんばかりに警部が登場するシーンは全69作の中でもかなり毛色の違ったシーンでした。

 

さよならコロンボ

子供の頃から大好きだったシリーズの最終作を初めて見ました。

ラストシーンはコロンボ警部が会話した後出口に向かって右の方に消えていきます。

ああ、これでコロンボ警部は永遠に立ち去ってしまったのだ。

そう思いながらラストシーンを見ていました。

お疲れ様でした警部。

あなたが居ないテレビはやっぱり少し寂しいです。